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正因寺縁起

 

 この寺は、今から約千年ほど前、康平二年(1059)に智弁という僧によって天台宗の寺として創立され、太平山長福寺(たいへいざんちょうふくじ)と呼ばれ、長く続いてきましたが、五百年ほど前の室町時代末期の永正年間(1504~1520)、親鸞聖人の教えを受け継がれた真慧(しんね)上人(高田本山専修寺を開かれたお方)が、この地方においでになり、お念仏(南無阿弥陀仏を称えること)の教えをお説きになりました。この寺の情念という僧が、その教えに帰依され、これより後、天台宗から真宗に改宗しました。そして、寺の名も現在の泰平山正因寺と改めました。

泰平山 正因寺

 その後、天正年間(1573~1591)織田信長の兵火により、この寺は壊滅しました。しかし、この寺の信徒の方々の再建への熱意が強く、その実が結び、見事に庫裡等の建物は復興されました。

 

 それより、約三百五十年ほどの年月が経過しましたが、この間、屋根のふきかえ、床などの補修等、何回か行われ維持されてきましたが、長い年月のうちに大修理の必要に迫られ、地震対策のこともあり、平成五年、信徒の方々相寄り、その修復を決定し、着工、翌六年見事に完成、七年には、完成の慶讃法要が行われました。

 

 この本堂の中央には、阿弥陀如来の立像、左側に聖徳太子像、右側に親鸞聖人の座像が安置されています。また、この三つがまつられている両側の部屋には、きれいな天女の額が掛けてあります。その他、鎌倉時代・室町時代に作られた仏像も安置されています。尚、境内には親鸞聖人御幼少の像、伊勢型紙で人間国宝を受けられた南部芳松氏の彫られらた梵鐘、山口誓子さんの句碑、「本堂のみ佛の燈も雛の宵」があります。                      

 

 平成21年5

泰平山正因寺  住 職

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